2014年1月17日金曜日

「新」という1年間

2013年が終わり,2014年に突入した.

2013年の1年間,何もかもが変わり,新しくなった.
というわけで,2013年の漢字はこれだ:

「新」


2013年に突入した頃,なにをしていたか.とにかく追われていた.

九大大学院の修士論文を納得できるように仕上げたい.
しかし東大大学院の博士課程の試験がすぐそこに迫ってきている.
2つの獲物を同時に追うのはなかなか苦労を要する.
しかも,両方逃してはいけないという状況で,
プレッシャーというかストレスというか,何かに追われ,戦っていたような.

研究室に居ると研究をしてしまって勉強に手がつかなくなることがあるから,勉強は図書館でやっていた.それを終えて,夕飯食べて,研究室で研究.そんな毎日だった.


せっかくなので,1年間のことをまとめとこうかな.


1月の中頃,東大に試験用修士論文提出の日を翌日に控えた夜は,研究室の床で寝た.
(どうでもいいけど,毛布1枚とリポビタンDのダンボール箱で簡易寝床を作って寝たな.)
翌日,指導教員と議論をしてから提出のはずが,まさかの先生が高熱で寝込んでしまい,電話でなんとかやりとりして,試験用なりに仕上げた.
ちょっと高級な紙に印刷して封筒に入れ,速達郵便で送った.
郵便局の方にもギリギリに出してしまって申し訳ない思いでした.

1月末に東大で筆記試験を受けた.初めて赤門のある東大にやってきた.
東京の道路には1月14日に降ったと思われる雪がまだ多く残っていたのを覚えている.

とても良く出来たと言えないものになってしまったが,なんとか筆記試験の合格をいただくことができ,2月6日に口頭試問を受けに再び東大へ向かった.
確かその日は,「雪が降るのか降らないのか」という談義が空港で行われており,もし羽田に着陸できない場合は大阪に降りますと言われ,時間に間に合わないのではないだろうかと,焦った.結果,雪は降らず,無事羽田に定刻で着陸した.(ちょっとした賭けだったのは,ここだけの話.)

試験会場に着くなり,学会の聴衆よりもここの審査員の方が「豪華」ではなかろうか,という風に感じた.口頭試問を終え,「豪華」な審査員のひとりふたりと議論させていただき,そのあと研究室関連の方々とお話して,試験(+α)の全てを終えた.

試験の合格発表はなかなか遅く,3月6日だったと思う.
郵送で合否の連絡を受けることになっていたので,数日遅れてその知らせが来ると思い,待っていた.そしたら,東大に修士課程から入学していた友達が,「名前があったよ」と突然メールをくれた.自分で初めに確認したかったという気持ちもあったが,ありがたくその連絡を信用させてもらい,親や先生,周囲の人達にお礼を言った.

いままでの生活を離れ,新しい生活を送ることが決定した瞬間だった.

福岡を離れるのにバタバタして,懐かしむ暇がなかったのは,今になって悔やまれる.
それでもたくさんの人に見送ってもらい,嬉しかった.電車の駅まで来てくれた人たち,新幹線まで楽器やキャリーケースを運んでくれた皆さん,ありがとうございました.
新幹線が博多駅を出てから,ぶっちゃけ,しばらく泣きました.なんのために泣いたかわからないけど,とにかく自然に涙が溢れる経験をしたことが殆どなかったから,それで福岡を本当に離れるんだということを実感した.



さて,3月29日には千葉の新居に辿り着いた.荷物が届くのは2日後.
非常に寒かったので,1畳分のカーペットを購入したが,スーツが入った袋を布団にして硬い床の上に寝たので,死ぬほど寒かった.新しい居住地,柏の洗礼をうけた日だった.
なので,翌日はつくばの友達の家へ逃げ込んだ.

4月に入り,入学式もあったが,その前に大学に顔を出し,挨拶して,机とパソコンを頂いた.
大学の学生室の構造の特性上,なかなか九大の時のように温かい感覚はなく,むしろ閑散とした印象だった.これが東大か,と受け止め,研究を進めるための新しい環境を整えた.
何より記憶に残っているのは,4月に入ってまだ5日しか経っていない時に行われた懇親会.
いきなりお酒の席でやらかしてしまい,後輩には申し訳ないことをした.ただし記憶に無いのだけれども.その後は気をつけている(つもり).
入学しました


新しい環境のありかたに慣れはじめながら,どんどん月日は経っていった.
5月には前指導教員の退職記念パーティーのために福岡へ.
パーティーの前夜にも元バイト先の友人たちと食事したりして福岡を楽しんだ.
気象学会を終え,気象庁で講演するきっかけをいただき,6月になってから気象庁を訪ねて研究発表をさせて頂いた.現業を見ている力学好きなひとの助言は非常に有益だった.
そのあと7月にはスイスの学会へ参加.初めて見るスイスの山に感動した.ただ,行きの電車の中でキャリーケースを置き去りにした事件は,なかなかスリリングだった.学会発表後に自分の研究分野の大御所とふたりで多く話せたので,この学会発表は成功だ.

8月に入り,B'zとAerosmithのライブに行ったり,福岡に立ち寄ってまた行きつけの定食屋で唐揚げを食べたりして,
はこざきの唐揚げ.ぶれとる

その後,角島に遊びに行って,そのまま久々の実家へ帰省.なに流星群だったか忘れたが,声を上げるほど大きな流星が出迎えてくれた.8月の終わりに初の沖縄へ.研究会のためだったが,せっかくなので沖縄をひとり満喫してきた.三線を聴きながら飲むのは楽しく,新しい世界が見えた気がした.


さて,9月になると気象夏の学校がまずあった.海洋との合同で,海洋の新しい知り合いを欲していた自分にとって良い機会だった.講演で賞を頂いたが,どうやら飲み会の方の印象が皆さんには残っているようでした(反省).
9月の終わりにはJAMSTECで講演をした.最後の発表で時間が余っていると言われ,たくさん喋りすぎてしまったが,有益なコメントを頂けたし,自分の中では良かったと思っている.

10月は台風セミナーと研究会のために京都へ1週間近く滞在.特に,研究会では大気海洋相互作用に関する新しい知り合いがまた増え,今後に繋がる時間だった.11月に入ってすぐに,再び京都へ.Vallis先生と写真を撮れた.なかなか思い出深い.その後くらいに先輩と旅行へ行き,そのあと気象学会があり,仙台で多くの人とお酒の席でお話を出来て有意義だった.

11月24日には,初めてのつくばマラソン参加.フルマラソン自体は3回目だが,あまりに練習してなさすぎて憂鬱だった.申し込んでしまったものはもったいないと思い,当日一生懸命走った.頑張れば歩かずになんとかゴールできるもので,出てよかったとは思う.ただ,膝の痛みが3週間以上も続いたのは明らかに練習不足のせいだな.
完走直後でふらふら


12月になる頃,九大の学生と旅行へ.懐かしいメンバーと新しいメンバーと時間を共有することが出来,楽しかった.九大はこれからもそういう研究室であってほしいな.

そして12月に入るとすぐ,京都でAdam Sobel氏による講義が4日間にわたって行われた.ちょうど誕生日をはさんでいたので,誕生日プレゼントと思って聞き入った.なかなか熱のある先生で,個人的に色々質問した時に伝わってきたパッションは僕の奥深くに響いた.誕生日は,先輩がプリンとビールで祝ってくれた(結構嬉しかった).

12月の中頃に地元の同窓会があり,10年ぶりくらいに会う人も多く,懐かしい話や新しい話で盛り上がった.わざわざ帰ってよかったと思ってるし,幹事の人達には心から感謝している.

そして12月も終わりに差し掛かり,年末は福岡に立ち寄り,いつものメンバーで飲んだりして,楽しく過ごした.嬉しい事もあった.九大では元指導教員とも多く話した.
そんなこんなで大晦日に福岡を離れ,実家へ帰った.ちなみに,楽しみすぎたのか,大晦日は高熱で寝込み,正月も体調が優れなかった.まだまだ書き足りないが,こんなとこでしょうか.
千葉へ戻るときに見えた富士山.初めて見た.

地元の木造の橋,錦帯橋.





ただの長い遊んだことの覚書みたいになったけど(笑),
2013年は新しい生活,そして新しい出会いが印象深い1年間だった.
慣れない場所で慣れない空間で上手くいかないこともあったけど,良い経験だった.

2014年は,早速,新しい出会いもあったことだし,毎日を大切にしながら過ごしていきたいものだなぁ.
今年は「新」ではなくて,なにか違う印象が残るような1年にしたいな.
努力すべきことも多いので,

「努」

といえる1年にしたい,かな.



本年もよろしくお願いいたします.