2012年3月11日日曜日

Nontraditional Coriolis項の歴史とこれから

Nontraditional Coriolis項(Nontraditional Coriolis Terms;NCTs)は伝統的に運動量方程式から除外されてきた,惑星渦度の水平成分に由来するコリオリ項である.その除外のための近似は"Traditional approximation"と呼ばれ,Eckart (1960) によって名付けられた.名付けられる以前から,NCTsやメトリック項の「小ささ」を主な理由として方程式は近似されて用いられてきた.この近似が気象学・海洋学を発展させたのは言うまでもない.現象の本質を捉えるためには十分「小さい」からである.

この近似が必要なのは,その「小ささ」のみを原因としているわけではないということを強調しておかなくてはならない.直感的にもイメージできると思うが,大気の厚さが固体地球半径に比べて非常に小さいので,本来は変数である地球中心からの距離を定数で置き換えたくなる(Shallow atmosphere近似).ところが,それ同時にNCTsやいくつかのメトリック項を運動量方程式から除外しなければ,角運動量やエネルギー,渦位の保存則を方程式系が満たさなくなる.この制約を含めた理由により,NCTsが除外された静力学プリミティブ方程式系が伝統的に用いられてきた.


ここまで括弧付きで「小ささ」などと書いているが,実際のところNCTsは,特に赤道付近において無視できるほど小さくはない.あまり表立って騒がれることこそなかったものの,NCTs除外の危険性については古くから指摘されている.まずEckart (1960, p. 96) において,"Traditional approximation"を行う動機として
"What terms of the equations are responsible for the mathematical difficulties?"
とある.数学的に簡単にするためにNCTsを同時に除外してしまえ,というのがその答えだ.確かに数学的な取り扱いは非常に楽になる.運動量方程式を水平方向と鉛直方向との構造方程式に書き換えることが可能となる,すなわち変数分離可能になるということは大きな利点であろう.また,物理的なイメージも「容易」となる.水平面に直交する回転成分のみを扱えばよいので,「地球に固定された座標系で考えると,北半球において運動が進行方向右側へと曲げられる」というイメージを語れる.


しかし,NCTsを方程式から除外できるのは密度成層の効果が地球回転の効果より十分大きいときのみである.この条件についての議論は,古いものではQueney (1950) にまで遡る.まとまった議論としてはPhllips (1968) やGill (1982) を参照してほしい.すなわち,密度成層の効果が小さい場合にはNCTsの除外は適当でない.Müller (1989) の最後に
"It is always necessary to consider the actual physical situation to judge the applicability of this approximation."
と書かれているように,状況に応じて近似の妥当性を判断しなくてはならない.大気において考えてみると,積乱雲のような強い鉛直流がある場合にはNCTsを除外できないだろう.しかしながら,そもそも水平スケールが小さい積雲を考慮する場合には非静力学方程式を用いるのが通例となりつつある.それなら問題ないではないかと思うが,そうでもない.

まず,NCTsを含まない非静力学方程式を用いたモデルも存在しうることが1つ目の問題点として挙げられる.White et al. (2005) によって角運動量などの保存則を満たす方程式系は4つあるとされている:Nonhydrostatic Deep, Nonhydrostatic Shallow, Quasihysrostatic, Hydrostatic Primitive Equationsである.このうち,Nonhydrostatic Shallow EquationsがNCTsを含まない非静力学方程式である.しかし,"Traditional approximation"を用いる条件を満たさない状況でもNCTsを除外したいという理由がない限りは,それらを含んだモデルにするべきではなかろうか.ちなみに,Quasihydrostatic Equationsというのは鉛直加速度項のみを除外した方程式系である.知名度は低いが,UK Met Officeで現業に用いられたということもあり大変興味深い.

また,赤道付近においては惑星規模の積雲群がゆっくり東進するというMadden-Julian振動(MJO)という現象を始めとして,積雲対流活発な大規模運動が存在している.積雲対流を考慮した大規模運動で考えるときの平均的な鉛直流(約3cm/s)であっても,NCTsの大きさは運動量方程式において10%程度の大きさになりうることは,White and Bromley (1995) によりスケール解析で示唆された.大規模運動においても積雲対流に関連した現象であれば,NCTs除外による誤差を無視できない大きさで含んでしまう可能性がある.この大きさに関しては我々の研究により定量的に調査されている(Hayashi and Itoh, revised).その結果,積雲対流域付近においてNCTsは,とりわけ鉛直渦度や圧力摂動に大きな影響を及ぼすことが明らかになった.また,Roundy and Janiga (2011) は鉛直伝播する対流結合赤道波への影響を定量的に調査した.ここではNCTsによる効果を誇張して議論を進めているが,そこから見えてきた微かに傾いた構造や位相のずれは,量的に大きくないものの意識すべき特徴であろう.NCTsの影響が量的に小さいのは,積雲対流の存在は考慮されていないためであろう.


熱帯に限らず,NCTsに注目した研究は近年多くなされている.まず,NCTsを含む方程式による解析からnear-inertial mode(近慣性モード),もしくはBoundary-induced inertial mode(BIIモード)が自由モードの一つの解として存在することがThuburn et al. (2002)やKasahara (2003) ,もしくはEgger (1999) によって報告されている.彼らはNCTsを含む方程式系に波型を仮定した解を代入し,その振動数や構造を調査した.近慣性モードは非常に強く傾いた構造をしており(Thuburn et al. 2002, Fig. 7),振動数が惑星振動数(コリオリパラメータ)にほぼ等しいときに生じる.NCTsを含むことによって存在しうる,興味深い自由モードである.このモードに関しては,Gerkema et al. (2008)によりまとまった議論がなされている.

また,Fruman and Shepherd (2008) やItano and Maruyama (2009),Itano and Kasahara (2011) では対称不安定を始めとするパーセル不安定条件に与える影響が調べられている.Fruman and Shepherd (2008) のFig. 1は,Shallow atmosphere近似によって,すなわち同時に用いなくてはならない"Traditional approximation"によってどれほど惑星角運動量が変わってしまっているかを理解するのに良い図である.本来なら2次曲線である等惑星角運動量線は直線に置き換えられている.角運動量の分布に敏感な不安定条件が(多少なりとも)変わってしまうのだ.同論文で,伝統的には安定だった条件でもNCTsを含める場合に不安定になる例を挙げている点でも面白い.Itano and Maruyama (2009) では,NCTsが水平渦度であることに注目することで,基本場の南北方向の渦度,及び静的安定度をNCTsを加えた形に書き換えている.この書き換えは他への応用を期待させるimplicationである.

さらに,Dellar (2011) は多くの数値計算で用いられる伝統的なβ面を,NCTsを含むβ面へと拡張した.導かれた方程式系に改めて種々の近似を施し,馴染み深い方程式系を導き直している.なお,Grimshaw (1975)での議論によると,NCTsを含むβ面方程式系は角運動量や渦位を保存しないが,致命的な誤差ではないようだ.


以上の研究以外にも,ここでは紹介しきれないほど多くの研究がなされている.大気に限らず,深い海洋におけるNCTsの影響は多く調査されつつある(Gerkema et al. 2008など参照).それにもかかわらず,NCTsの重要性を考える研究者が多いとは思えない.特に,これから数値計算は静力学プリミティブから非静力学モデルへと移行することを考えると,NCTsの影響を事前に理解しておく必要がある.多くの人がNCTsの存在を意識しなければならない時代に入りつつあるといっても過言ではない.より精密な気象学へと発展させていくために,"Traditional approximation"だけでなく多くの伝統的になされてきた近似を見直す必要もあるのかもしれない.