2012年10月7日日曜日

研究発表動画Web公開の魅力と危険

学会における研究発表の録画動画は
Webで公開すべきか?すべきではないか?


こんなことを考えたことのある人はどのくらいいるだろう?
この質問にはっきりと答えられる人はどのくらいいるだろう?


すぐに「情報漏洩だから,すべきでない」と答える人は多いだろうが,
少なくとも,私ははっきりとした答えを持ち合わせていない.

完全なWeb上での一般公開については,「おおよそ」反対派である.しかし,単に反対ではなくて,この質問に関して私が考えていることは多くある.なぜなら,Webで公開することによるメリットが非常に魅力的だからだ.私が考える動画公開の魅力とそこに潜む危険性について,本記事では考えてみることにする.まずは魅力から始める.

■ 魅力 ■
知ってもらうチャンスが増える

なぜ研究者は学会発表するのか―研究論文が出版されたから宣伝のために参加するのか?

私が所属する学会では,まだ論文になっていない研究について発表する例が多いようだ.彼らは何のために決して安くはない参加費を払い,多くの研究者の前に立って研究成果についてなるべく分かりやすく説明しているのだろうか.おそらく,多くの場合は

  • 自分が何の研究をしているか知ってもらいたい
  • これまでに何が分かったか知ってもらいたい
  • これまでに何が分かっていないか理解してもらいたい
  • 研究の発展に繋がるコメントを得たい
などだろう.そのために,ポスターやスライドを利用して,時には汗をかきながら喉を枯らして,懸命に人に己の成果を伝えようとしている.

さて,ここで次の質問への答えを考えてみよう: 
10分間で100人に対して一生懸命発表して,いったい何人の人が研究を正確に理解し,ともに考えをめぐらせ,質問およびコメントを発表者に与えることができるだろうか?

私はこう思う: もしプレゼン技術が平均的なレベルであれば,10人からコメントをもらうことができただけで相当な大成功ではなかろうか.逆に考えると,残った90人は発表を聞き流していることとなる.

発表者が他の研究者に知ってもらいたいと考えているのであれば,10分間の付き合いだけで終わってしまっては非常にもったいない.そこで役に立ちそうなのが「インターネット」である.

今や,世界中はWebで常に繋がっている.そこに学会で発表したときの動画をアップロードしてしまう.するとどうなるか?内容を理解できなかった,都合が合わず学会に来れなかった,もしくは他のセッションにいて発表を見ることができなかった人も,Web公開されていればいつでも見れる.うまく彼らとWebで繋がり合うことができたとしたら,学会発表におけるたった10分間を無限の時間へ拡大できる,つまり知ってもらうチャンスが大幅に増えることになる.

このように知ってもらえるチャンスが増えることは,研究者にとって非常に魅力的なことだ!



ここで,動画のWeb公開に関するいくつか危険性があることは容易に想像できるだろう.
■ 危険性 ■
誰でも見れてしまう

例えば,YouTubeに完全に自由に閲覧できるように研究発表動画を公開したとしよう.誰がその動画を見るだろうか?

もともと,学会発表は学会会員(および大学の学生)が聴講に来ることを想定して行なっている.しかしながら,もしWebで完全公開してしまうと,不特定多数の身元もわからない人から見られうる.さらに悪いことに,通常は,誰が見ているかなど,発表した本人は知ることができない.これでは,学会会員以外に研究について知られ,動画を見た人が「運悪く」秀才でできる人だったとしたら,発表者より先に論文としてまとめて投稿しかねない.

もちろんこれは極端な例である.普通,専門外の賢い人がわざわざ人の研究を論文にして出したりしないだろう.しかし,可能性として「生じないとは言い切れない」というだけだ.この普通起こり得ない可能性でも,出来る限り排除すべきだと考える.

学会における環境と同様,身元の分かる人々のみが閲覧可能な環境を作った上で,発表動画をWeb上に公開する必要はあるのではなかろうか.

そのための方法はいくつかあるだろう.例えば,Facebookの「友達」限定公開機能とYouTubeのリンクを知っている人のみ閲覧可能という設定を使う.発表者自身がFacebookのタイムラインにリンクを貼り,知り合いであるはずの「友達」のみに公開する.それに対する議論も,その書き込みのコメント欄or直接emailで行う.そうすれば,少なくとも知り合いの範囲を超えること無く,Webを利用して動画を公開できるのではなかろうか?
(そもそも,YouTubeやFacebookを信用しないのであれば話は別であるが.)

学会のHPで学会会員のみが閲覧できるシステムを作って公開するのも,難しいだろうが,方法としてはありうる.ちなみに,アメリカの気象学会にあたるAmerican Meteorological Societyは,ConferenceのWebページに発表者の承認のもと音声と発表資料を完全一般公開している場合がある.

他に良い方法があれば教えていただきたい.


いくら動画を安全に公開できたとしても,本当に知ってもらうためには困難もあるようだ.
■ 困難 ■
見てもらえない

この記事を書く前に,同じ分野で研究をしている茂木さんとFacebookを通じて以下の様なやり取りをした.学会発表の動画を頂く際に,Web公開をしようかどうかという提案を受けた後の会話であり,前半は危険性に関することだが,後半が「見てもらえない」という困難に対応している:
茂木さんは,多くの人に発表資料を見てもらうために,並ならない労力を費やしてきた.その結果として,茂木さんが何か情報をアップロードする度に,多くの人が関心を持って閲覧し,コメントを残すようになったという.

勝手に見られてしまう恐怖というのはあるが,現実は,見てもらいたくてもなかなか見てもらえないのだ.YouTubeに完全公開で投稿したとしても,世界中の何人が検索によってヒットし,見ることができて,それに対していろいろ考えを巡らせるだろうか?知名度のない,影響力の弱い人がひとつの動画を投稿したからといって,滅多なことでは有名にならない.


このように,いくら安全に公開する方法を思いついたとしても,単純にWebにアップロードしたところで,他人に研究内容を知ってもらえないのだ.この困難を乗り越えるためには,熱心にブログを更新し続けるか,自ら他人のブログにコメントしまくるか,様々な努力が必要である.もちろん努力は必要であるが,利用できるものもいくつかあるのでは?

例えば,知り合いの多くが高頻度で見ているFacebookや,専門家が興味を示すはずの学会ホームページを利用するのは,効率の良い手段のひとつではなかろうか.私は,これらの利用を検討する価値は十分にあると考えている.




長文をここまで書いてきたが,私の発表動画Web公開に対する考えの要点を,以下の3点にまとめて終わりとする:
  • たった10分間の動画を利用して無限のチャンスを得るために動画を公開したい.
  • 知ってほしい人だけに見てもらえるシステムが必要である.
  • 人に知ってもらうことは簡単なことではないので努力も必要である.

2012年9月6日木曜日

メリットだらけの小さな研究会

小さな集会にこそ大きな収穫がある


 ここ数週間でそんなことをひしひしと感じた.

  8月末に台風セミナー2012という台風研究者が50人程度集合
  9月頭に熱帯降水系研究会という降水を伴う熱帯擾乱の研究者が15人程度集合

いずれも比較的小規模な集会であり,どちらも非常に有意義だった.もちろん,定期的に開かれている大規模な学会も有意義である.様々な人が集まり,一部の人に研究を聞いてもらい,また一部の人とお話したり盃を交わす.大規模な集会に多くのメリットはあるが,私はここ数週間で小規模な集会に大きな意義を感じるようになった.もちろん,同じようなことを感じている人は多いだろう.


 では,なぜ小規模な集会でそこまでの価値を感じているのだろうか?私なりに考えて思い浮かぶ小規模な研究会およびセミナーに潜むメリットは

 1.マニアックな人だらけ
 2.全体で同じ知識を共有
 3.全員と交流できる

の3点だ.


1.マニアックな人だらけ
 小さな研究会やセミナーには同じ,もしくは類似した現象に興味を持って研究してきた人たちが参加する.彼らは大きな学会にも参加しているはずだが,一同が一箇所に集まるのは通常難しい.そんな人達がひとつの会場で同じ時間を共有できる.同じ時間にひとつの部屋にいるだけでも素晴らしいことだ!

 誰かが話しを持ちかけると,多くの人が反応し,話は発展しやすい.狭い部屋に居る分,声も届きやすいからだろう.会場が本当に狭ければ,普段隣りに座らないような人の側に自然に近づける.これも思わぬメリットかもしれない.

 同じ思いを持ったマニアックな人が狭い部屋に強制的に集まる小規模な集会は,素晴らしい時間としかなり得ない!


2.全体で同じ知識を共有
 マニアックな人だらけの狭い部屋で口頭発表する,もしくは発表者に質問すれば,会場全体が耳を傾ける.単に興味があるということ加えて,声が通りやすい・スクリーンが近いという理由もあるだろう.そうすると,発表された研究内容および質問,返答は参加者全体の共通の知識となる.

 参加者「全体」で,というのが重要なポイントだ.会場全体が真剣に発表を聞いてくれる.一つの質問で次々と盛り上がる.知識がより一層深まり,発表するのが楽しくなる.「こうあるべきだ!」という研究発表会が小規模な集会にはある.だから本当に有意義な時間となるんだ.


3.全員と交流できる
 全く知らない人ばかりでも,会場が狭く参加者が少ないほど半ば強制的に交流できる.参加者が10人程度であれば,知らない人10人と会話して盃を交わすのは難しいことではないだろう.

 相手のことを知らないからといって,何を話せばいいかなんて気にする必要はない.何度も言うように,「マニアックな人」ばかりが新しい「共通の知識」を既に得ているんだから,大好きな話をすればそれで盛り上がる.研究に対する思いをぶっちゃけてもいい.発表中に分からなかったことを質問してもいい.みんなそれを楽しいと感じている.

 思い切って申し込んで楽しむだけで人とつながれるんだって思ったら,参加せずにはいられないでしょ!ましてや参加者のうちで最も若い身分ならば,憧れの研究者と交流する最大のチャンスである.参加したどちらの集会でも,今まで話せなかった方々としっかりと交流することができた.小さい集会ならではのメリットを最大限に活かせたと,我ながら自身を褒めているところだ.



 以上のように,小規模の研究会およびセミナーには超魅力的なメリットに溢れている.研究についてしっかり話すことができ,さらに新たな人との繋がりが始まる.大きな収穫ばかりだ.今後も,もちろん大規模な学会も全力で参加するが,小さな集会を見逃さないよう積極的に参加し続けたい.

2012年5月13日日曜日

九大100年まつり


今日は幼い子供から70歳のおばあちゃんまでの幅広い方々に「プレゼン」しました!

といっても,本日2012年5月12日午前10時から午後16時半頃まで,九大100年まつりにおける研究室の出し物として「雲を作る実験」(ペットボトルを高圧状態から急激に低圧状態にして断熱冷却し,「雲(=水滴)」ができるという簡単な実験)とその他一つの実験をして,皆さんにその過程を論理立てて考えてもらい,説明したりしたということです.
実験後に「なぜ?」について考える後輩と子供たち.


オープンキャンパスとも学会とも全く違う層の人達がランダムに見学しに来るので,それぞれの相手に合わせて説明するということに大変苦労しました.

元気な男の子
純粋な女の子
非常に鋭い少年
賢い少女
詳しい大人の方々
理科の先生?
元気なおばあちゃん
・・・

いろんな人とお話ししながら「雲」を作ってもらって,なんで「雲」が出来るのか,そもそも雲って何なのかなど,考えてもらいました.(意外と「雲=水蒸気」と考えていた人が多かったです.)


多くの人に楽しんでもらえたのは非常にありがたかったし,やったかいがあったと思えました.子供たちも「学校じゃやってない!」「すごい!なんでぇ??」「楽しい!もう一回!!」などと言ってもらえて,評判でした.好奇心旺盛な小学生から中学生くらいの子供たちと,実験に関する論理立てたディスカッションができたので,その点は◎を後輩たちと自分にあげようと思います.

ただひとつ心残りだったのは,非常に元気な子供たちを引き連れてやってきた保護者の方の一言に気付かされた反省点にあります:
「こういう実験した後に,天気図の書き方とかも教えてくれたらいいんだけどね~.」
何気ない一言だったかもしれないし,もっと深い意味を込めていたかもしれませんが,私には
「楽しいだけじゃなくて,ハイレベルなところまで繋げて喋ってくれたらいいのにな~」
という風に聞こえました.考えすぎでしょうか.


楽しい時こそ学びのチャンスなんでしょうから,
楽しいと思ってもらえたからこそ,
もっと学んでもらえるようにアプローチできたら良かった
のかなと思っています.


特に,わかりやすい簡単な実験しかせずに,最新の気象研究を伝えていなかったということに反省を覚えました.めったにない一般の方々と「気象」を通じて交流できる機会だったので,もっと今,何を皆が研究しているかをお話できたら良かったです.

このような機会が次にいつ訪れるかはわかりませんが,これから気象を研究していく者として,そういう機会を逃さずにしっかり最新の気象研究を一般の方々にお伝えできるよう頑張ります.



何はともあれ最後に一言.
いろんな人と実験して一緒に考えながら話すの,ちょー楽しい!!

2012年4月21日土曜日

アメリカからの3つの刺激

やばい、早く研究しなきゃ。
てか、みんなで研究しなきゃ。
そもそも、もっとみんな参加しなきゃ。




アメリカのフロリダ州Sawgrass Marriottで2012年4月16日~20日まで開催されたAmerican Meteorological Society主催の研究会、The 30th Conference on Hurricanes and Tropical Meteorologyに参加して思ったこと。2年に1回行われていて非常に歴史の深い研究会であり、やはり最新の研究をするすばらしい研究者がこぞって惜しげもなく発表しまくっていた。もちろん僕も発表した。発表の内容は幸い、3月末にthe Journal of the Atmospheric Sciencesに受理されており、自信を持って発表を行うことができた。それについてはここでは触れないことにして、他の研究者の発表を5日間聞き続けて感じたことをここに残しておく。



やばい、早く研究しなきゃ。

そう思ったのは学会が始まって2日目くらいのことだった。僕が興味を持っているMadden-Julian振動という熱帯インド洋から太平洋にかけて積雲群が東進する現象のメカニズムは、やはり未だにわかっていない。昨年の秋から冬にかけてCINDY/DYNAMOプロジェクトとして熱帯集中観測が行われていたこともあり、MJOについて多くの研究者が新たな知見を見いだしていた。「なぜゆっくり東進するのか」だけではなく、「なぜMJOが出現するのか」や「MJOと対流結合Kelvin波は本質的に同じだ」など、様々な観点からMJOのメカニズムをこぞって調べ合っていた。自分も現在、それに関連した研究を行っているつもりであるが、今僕が考えていることに近いかもしれない研究発表がいくつかあり、ちんたら研究していると「手遅れ」になってしまいかねないと思って焦った。元九大教授が言ってたことを思い出した。

「私は博士号をとるまでに何度も先を越されてきた。博士号取得になった研究はギリギリ勝ててよかった。」

やばい、早く研究しなきゃ。そして、早く論文にまとめて出版しなきゃ。



てか、みんなで研究しなきゃ。

みんなで研究するスタイルは、少なくともうちの分野の大学生ではあまり見かけない。自分のやりたいテーマをじっくり研究し、発表し、ひとつひとつこなしていく。もちろんそのスタイルは意味のあるものだし、好きだ。それを継続してかまわないと思う。ただ、アメリカの研究を見ていると怖くなる。「彼らは2年後、どこまで研究を進めてくるのだろうか。」

ざっくりといって、彼らのスタイルはこうだ。ある先生のもとで似通ったテーマを研究することで、その分野の学問は一気に進展する。おそらく、その先生が得意とする現象の研究をしたくてアメリカ全土、もしくは日本を含む海外から学生が集まってくるんだと思う。だから大規模に一気に研究を進めることができる。日本ではそういう印象はあまりないと思う。むしろ、同じ大学内ですら同僚が何研究しているかたしいて把握していないのが実情だ。このままだと有益な情報を得るチャンスを失い、失速してしまう。自分だけではできないことは山ほどあると思う。では、日本スタイルの「良さ」を残しつつアメリカスタイルの「良さ」を取り入れようとすれば、どうすればいいだろう?

日本中にいる学生を含む研究者と情報交換を綿密にし、仲間のつながりを深めていくのがいいのかもしれない。共同研究である必要はない。ただ、みんなでつながって研究しなきゃ。



そもそも、みんなもっと参加しなきゃ。

日本じゃ感じることのできない、質の違った高揚感が今でも残っている。むしろ文章を書きながら、再び高揚してきている。学会会場に足を踏み入れてみたらわかる。そこにいるのは、いつも僕が論文越しに「会っている」偉大な研究者たちだ。ちゃんと直接話せたとは言えないが、ポスター発表を聞いたり、Coffee breakで遠目で眺めたり(笑)。有名な方々の表情と声、身なりを覚えた。これから論文を読むときは「あ、あの人が書いたんだ。」と想像しながら読めると思うと、なんだかわくわくする。

研究発表はもちろん、すべての言葉を聞き漏らすまいと必死になれない英語に耳を傾ける。初日はしんどかったが、2日くらい経つと慣れてきた。興味がある内容の発表なら聞けるように変わった。一人でアメリカへ向かい不安は多かったが、それほど実際に苦労したことはない。英語が不安、生活が不安、日本が好きすぎるなどいろいろなことを考えている人がいるかもしれないが、とりあえず行ってみることから始めませんか?みんな、もっと参加しなきゃ。もったいない!



早く研究しなきゃ。みんなで研究しなきゃ。みんなもっと参加しなきゃ。




−−
研究発表において反省している点は多くある。
話すのが早くなった。聴衆とつながれなかった。質疑をうまく利用できなかった。
でも、この反省は次に生きるし、また行きたいと思えている。
早いうちに経験することで足は軽くなる。
だから僕はさっさといろんなことをしてみる。というより、してみたくなるんですよ。

2012年3月11日日曜日

Nontraditional Coriolis項の歴史とこれから

Nontraditional Coriolis項(Nontraditional Coriolis Terms;NCTs)は伝統的に運動量方程式から除外されてきた,惑星渦度の水平成分に由来するコリオリ項である.その除外のための近似は"Traditional approximation"と呼ばれ,Eckart (1960) によって名付けられた.名付けられる以前から,NCTsやメトリック項の「小ささ」を主な理由として方程式は近似されて用いられてきた.この近似が気象学・海洋学を発展させたのは言うまでもない.現象の本質を捉えるためには十分「小さい」からである.

この近似が必要なのは,その「小ささ」のみを原因としているわけではないということを強調しておかなくてはならない.直感的にもイメージできると思うが,大気の厚さが固体地球半径に比べて非常に小さいので,本来は変数である地球中心からの距離を定数で置き換えたくなる(Shallow atmosphere近似).ところが,それ同時にNCTsやいくつかのメトリック項を運動量方程式から除外しなければ,角運動量やエネルギー,渦位の保存則を方程式系が満たさなくなる.この制約を含めた理由により,NCTsが除外された静力学プリミティブ方程式系が伝統的に用いられてきた.


ここまで括弧付きで「小ささ」などと書いているが,実際のところNCTsは,特に赤道付近において無視できるほど小さくはない.あまり表立って騒がれることこそなかったものの,NCTs除外の危険性については古くから指摘されている.まずEckart (1960, p. 96) において,"Traditional approximation"を行う動機として
"What terms of the equations are responsible for the mathematical difficulties?"
とある.数学的に簡単にするためにNCTsを同時に除外してしまえ,というのがその答えだ.確かに数学的な取り扱いは非常に楽になる.運動量方程式を水平方向と鉛直方向との構造方程式に書き換えることが可能となる,すなわち変数分離可能になるということは大きな利点であろう.また,物理的なイメージも「容易」となる.水平面に直交する回転成分のみを扱えばよいので,「地球に固定された座標系で考えると,北半球において運動が進行方向右側へと曲げられる」というイメージを語れる.


しかし,NCTsを方程式から除外できるのは密度成層の効果が地球回転の効果より十分大きいときのみである.この条件についての議論は,古いものではQueney (1950) にまで遡る.まとまった議論としてはPhllips (1968) やGill (1982) を参照してほしい.すなわち,密度成層の効果が小さい場合にはNCTsの除外は適当でない.Müller (1989) の最後に
"It is always necessary to consider the actual physical situation to judge the applicability of this approximation."
と書かれているように,状況に応じて近似の妥当性を判断しなくてはならない.大気において考えてみると,積乱雲のような強い鉛直流がある場合にはNCTsを除外できないだろう.しかしながら,そもそも水平スケールが小さい積雲を考慮する場合には非静力学方程式を用いるのが通例となりつつある.それなら問題ないではないかと思うが,そうでもない.

まず,NCTsを含まない非静力学方程式を用いたモデルも存在しうることが1つ目の問題点として挙げられる.White et al. (2005) によって角運動量などの保存則を満たす方程式系は4つあるとされている:Nonhydrostatic Deep, Nonhydrostatic Shallow, Quasihysrostatic, Hydrostatic Primitive Equationsである.このうち,Nonhydrostatic Shallow EquationsがNCTsを含まない非静力学方程式である.しかし,"Traditional approximation"を用いる条件を満たさない状況でもNCTsを除外したいという理由がない限りは,それらを含んだモデルにするべきではなかろうか.ちなみに,Quasihydrostatic Equationsというのは鉛直加速度項のみを除外した方程式系である.知名度は低いが,UK Met Officeで現業に用いられたということもあり大変興味深い.

また,赤道付近においては惑星規模の積雲群がゆっくり東進するというMadden-Julian振動(MJO)という現象を始めとして,積雲対流活発な大規模運動が存在している.積雲対流を考慮した大規模運動で考えるときの平均的な鉛直流(約3cm/s)であっても,NCTsの大きさは運動量方程式において10%程度の大きさになりうることは,White and Bromley (1995) によりスケール解析で示唆された.大規模運動においても積雲対流に関連した現象であれば,NCTs除外による誤差を無視できない大きさで含んでしまう可能性がある.この大きさに関しては我々の研究により定量的に調査されている(Hayashi and Itoh, revised).その結果,積雲対流域付近においてNCTsは,とりわけ鉛直渦度や圧力摂動に大きな影響を及ぼすことが明らかになった.また,Roundy and Janiga (2011) は鉛直伝播する対流結合赤道波への影響を定量的に調査した.ここではNCTsによる効果を誇張して議論を進めているが,そこから見えてきた微かに傾いた構造や位相のずれは,量的に大きくないものの意識すべき特徴であろう.NCTsの影響が量的に小さいのは,積雲対流の存在は考慮されていないためであろう.


熱帯に限らず,NCTsに注目した研究は近年多くなされている.まず,NCTsを含む方程式による解析からnear-inertial mode(近慣性モード),もしくはBoundary-induced inertial mode(BIIモード)が自由モードの一つの解として存在することがThuburn et al. (2002)やKasahara (2003) ,もしくはEgger (1999) によって報告されている.彼らはNCTsを含む方程式系に波型を仮定した解を代入し,その振動数や構造を調査した.近慣性モードは非常に強く傾いた構造をしており(Thuburn et al. 2002, Fig. 7),振動数が惑星振動数(コリオリパラメータ)にほぼ等しいときに生じる.NCTsを含むことによって存在しうる,興味深い自由モードである.このモードに関しては,Gerkema et al. (2008)によりまとまった議論がなされている.

また,Fruman and Shepherd (2008) やItano and Maruyama (2009),Itano and Kasahara (2011) では対称不安定を始めとするパーセル不安定条件に与える影響が調べられている.Fruman and Shepherd (2008) のFig. 1は,Shallow atmosphere近似によって,すなわち同時に用いなくてはならない"Traditional approximation"によってどれほど惑星角運動量が変わってしまっているかを理解するのに良い図である.本来なら2次曲線である等惑星角運動量線は直線に置き換えられている.角運動量の分布に敏感な不安定条件が(多少なりとも)変わってしまうのだ.同論文で,伝統的には安定だった条件でもNCTsを含める場合に不安定になる例を挙げている点でも面白い.Itano and Maruyama (2009) では,NCTsが水平渦度であることに注目することで,基本場の南北方向の渦度,及び静的安定度をNCTsを加えた形に書き換えている.この書き換えは他への応用を期待させるimplicationである.

さらに,Dellar (2011) は多くの数値計算で用いられる伝統的なβ面を,NCTsを含むβ面へと拡張した.導かれた方程式系に改めて種々の近似を施し,馴染み深い方程式系を導き直している.なお,Grimshaw (1975)での議論によると,NCTsを含むβ面方程式系は角運動量や渦位を保存しないが,致命的な誤差ではないようだ.


以上の研究以外にも,ここでは紹介しきれないほど多くの研究がなされている.大気に限らず,深い海洋におけるNCTsの影響は多く調査されつつある(Gerkema et al. 2008など参照).それにもかかわらず,NCTsの重要性を考える研究者が多いとは思えない.特に,これから数値計算は静力学プリミティブから非静力学モデルへと移行することを考えると,NCTsの影響を事前に理解しておく必要がある.多くの人がNCTsの存在を意識しなければならない時代に入りつつあるといっても過言ではない.より精密な気象学へと発展させていくために,"Traditional approximation"だけでなく多くの伝統的になされてきた近似を見直す必要もあるのかもしれない.