2011年12月29日木曜日

がむしゃら

2011年というのは私にとって「がむしゃらな一年間」だった.
気象学会,国際学会,論文投稿に初チャレンジし,それと同時に多くの人と出会ってきた.財産となる一年間だった.



ちょうど一年ほど前,気象の研究として学部4年中間発表を終えていた.そして,卒業研究の発表,卒論….気象を必死に学ぶ学生が,気象研究者という世界に一歩足を踏み入れた瞬間だった.それから一年が過ぎた.


そもそも何で気象の道に進もうと考えたのか.ふと,そんな疑問が頭をよぎる.確か気象研究者になりたいと思ったのは高校2年の初め頃.当時は高校で受験勉強を主にしながら,部活をプレクトラムアンサンブル部(マンドリンクラブ)で満喫していた.

そんな中,もう一つ興味があったことが「地球温暖化」しているという事実だった.とりわけ勉強していたわけではなかったが,ひとつの疑問は頭から消えなかった:

「何で気象学者がたくさん頑張っても,温暖化していることすら社会に認められず,また温暖化のメカニズムも解明されないんだろう.」

何で解明されないのかという疑問…当時だからこそ口にできたんだと思う.その原因は人為的か自然的かというのは多くの本で言い合われていた.私自身はなんとなく温暖化は人為起源だと信じていたが,その説明はできたわけでもない.今でもメールの流出事件によって「気象学者が作り出している事実」のように噂されることもある.(その件に関しては反論がある.生データを一般の人が見て理解できるわけがないので,それをわかりやすく説明するために図表を作っている.細かい議論をしても本質は変わらない.それをデータの改竄と呼ぶものは勉強不足だ.)とにかく,気象への道に私を誘ったのはそんな疑問であった.結果的に九州大学を選び,受験した.そして目標であった研究室である「対流研科学研究室」に無事配属された.


気象の勉強は学部初期から授業があった.伊藤先生の大気海洋科学を始めとして多くの授業を履修してきた.それと同時に物理や数学の基礎も学んだ.3年の前半は興味が数学に移り,線形代数などをよく勉強した気がする.3年生の後期に配属が仮決定されるので,それまでの成績は非常に重要だった.幸い,点数は足りた.それが決まると,気象を学びたい気持ちがより一層強くなった.そこで川野先生に紹介してもらった「気象力学通論」(小倉義光 著)を必死に読んだ.夏から冬にかけてはそればかり読んでいた.3月に入る頃に読み終わった.力学的に大変難しかったので,再び数学に惹かれてきて,ベクトル解析を学び直した.ちょうどその頃,指導教官の退官が近いということで,大学院は他大学に行くことも考えていた.3月に東大の先生と会って,自分がやりたいことを話して,たしかにここの研究室が向いているかもしれないと言われた.しかしながら,最終的には九州大学を選んだ.うちの指導教官にあと2年間指導してもらえるなら,どうしても指導を受けたいと直感的に感じたからだ.ただ,その東大のK先生から聞いた言葉は一生忘れないだろう:

「絶対にStandardを下げるな.回りがどうであれ,常に自分ができる最大限で臨め.」


学部4年生になり,研究テーマを決めなくてはならなくなった.先生に持ちかけたのは「大気海洋結合を含む大規模スケールの現象を,力学的に扱える研究がしたい」ということだったはずだ.かなり大ざっぱな興味であった.先生に相談した結果,次のようにテーマが決まった:

「まずは大気から研究するということで,熱帯での力学を数値モデルを使って研究しないか.前から気になっているテーマがある.」

ということで,今のテーマである「Nontraditional Coriolis項(NCTs)の熱帯での重要性」に出会った.元々の興味とは逸れているのだが,興味深い内容だったのでこれを研究することに決めた.はじめは非常に苦労した.二次元で分散関係がどうNCTsの有無で変わるか,式を一生懸命変形したり,強制を与えて数値計算したりして調べたが,ほんの少ししか影響がない.重要じゃないではないか…という結論で終わりそうになった.

3次元実験をして,ようやく重要だという結論にたどり着けそうになってきた.なんとか卒研発表を乗り越えた.
当時のポスターは文字が多くてわかりにくい...

それを,他の実験も全て含めて卒論にまとめて,3月5日に気象学会九州支部会で発表した.当時の発表が聴衆に伝わったかどうかは今となっては疑問でしか無い.同様の内容は,2011年春の気象学会でもポスター発表している.その時は現業の方や他大学の人,防衛大のNCTsに注目している先生など,多くの人に脚を運んでもらえた.ほんとうに嬉しかった.ただ,彼らと名刺交換などをしておらず,誰が聞きに来てくださったのか分からなくなってしまったのは,悔いが残る.名刺を作っておけば良かった.

その発表後にさらに考察を重ねて,直感的にNCTsの影響が何故大きくなるかまでわかった.さらに,先生と協力して式による証明にも成功した.ここまでまとめることができたのは指導教官とともに研究してきたからである.そして,それを投稿論文にする作業が始まった.日本語で書き始め,何度も議論を重ねて英語に翻訳した.ちょうどその頃,韓国で日中韓気象連合大会があると聞きつけたので,思い切って参加することに決めた.国際学会デビューである.夏には夏の学校が名古屋であり,そこで多くの人と出会った.昨年も参加したが,さらにその輪が広がった.このような人とのつながりは,一生大事にしていく.口頭発表をしたことで,NCTsを少し有名にすることができた.また,伝わるプレゼンについて考え始めたのもこの頃である.
初めに「まとめ」たのは良かった.


論文の翻訳が終わりそうな頃,韓国に行く日がやってきた.練習に練習を重ねた.ネイティブの先生に見てもらい,非常に有用なアドバイスを貰った.発表当日,練習した分だけ堂々と発表できたと自負している.ただ,もっと海外の学生と交流すればよかったと後悔は残る.それが終わってすぐ英語への翻訳を終わらせ,12月に投稿まで持っていった.今はレビューを待っている状態だ.




気象学会デビュー,国際学会デビュー,論文投稿…新しいことづくしの一年間だった.がむしゃらに,なんでも周囲に合わせないように意識的に取り組んできた結果だろう.業績より嬉しいのは,その場その場で多くの人に出会ったことだ.彼らとFacebookでいつでも議論できるというのが,また面白い.当然,Facebookにいない人たちとは学会会場でまた会って議論したくてたまらない.がむしゃらに無理をしてでも頑張った結果,今の現状に至る.2011年は「がむしゃらな一年間」だったと,言い切れる.


2012年は,先生の退官に伴って,博士課程の行き先を考えなくてはならない.自分の中での様々な決心がつかないでいるので,しばらくはそのことで悩まなければならないだろう.来年の一年間は,

博士課程に進学するであろう「2013年度の自分自身のために,全力を尽くす.」

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